思い出のEverquest Raid Movie
小忙しいせいか、あっという間に日が過ぎる。
最後にまとめLinkを作っておくか。
夢の跡
Everquestは6年程度やっていた。
上のLinkはその最後の年で、その後はこれを上回る大規模Raidにお目にかかったことはない。
EQの頃は巨大Raid全盛だったが、その後はコンパクトで内容が複雑になる方向へ向かっている。
今後は、おそらく60人規模のRaidを行う事すら、なかなかお目にかかれないだろう。
そういう意味では結構記念碑的にも思えたので、あえて取り上げてみた。
Everquest。その世界は広かった。
Norrathの何十のZoneを行ったり来たり、倒したり倒されたりの日々を延々と続けていた。
それでも、毎日同じ内容であることは決してなく、毎日何かが違っていた。
結局何を得て何を失ったか、成長したのか退化したのかは、今もつかみきれていない。
だが、EQをやっていた事については、いくら時間の浪費と言われようとも後悔する気にはなれない。
自分では満足はしていたし、ある程度の達成はあったとも思っている。
何か、長い夢を見た後のような、そんな気分だった。
しかし、それは二度と見れない夢なのかもしれない。
例え景色は同じでも、ちょっと目を離すと、次見る時は印象はがらりと変わっている。
初めて見たQeynos Hillの印象は二度と再現できない。
ちょっとレベルが上がって旅の途中にまた立ち寄ると、もう見慣れた景色になっていて新鮮味は消えている。代わりになつかしさになる。
全ては一過性なのだ。デジャブーはあっても、二度と全く同じ想いの再現はできない。
夢は覚めた。
EQの世界には、たぶんもう戻らないだろう。
あれだけ入れ込んだ割には、あっさりと見切りをつけれたものだと自分でも不思議に思うくらいだ。
だが今から考えると、自分が得た価値あるものは装備アイテムよりももっと別のものだったと、ほぼ確信をもって言える。
それは、ゲームをやめても自分についてくる要素、考え方、方法論、技術、人のつながり。
それを自覚したときから、EQ自体へのこだわりは消え失せていた。
それでも、その夢は他分野への萌芽になったのではないかと思っている。
自鯖、WebPage、CGIなどのコンテンツへの興味はEQをやってから伸び始めたもので、後にRubyやSNSや他へとつながっている。
完璧に無駄なものなど、いくらでもお目にかかれそうで案外と無いものだ。
そして、それらの副産物は次の夢につながる道になり橋になる。
一つの夢は覚め、また次の夢へ。
そして願わくば、より良い夢を。